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Maekawa Hiroko Home Page Exhibition
Japanese Art Collection
◆曽祖父の残した書画を調べながら紹介、公開しています。調べるうちに曽祖父は当時活動していた、現役の地元作家の作品を多く所有していたことが分かってきました。明治の頃に郡長であった彼のもう一つの顔を見る感があります。◆
(注;販売はしておりません)

No.17
福井江亭(ふくい こうてい、1865(慶応元年)~1937(昭和12)
旧幕臣の福井正賢を父に江戸に生まれる。
本名は信之助。号は江亭・天真堂
はじめ洋画を学ぶが、後に川端玉章に師事して日本画に転向する。
元東京美術学校教授
鳥はサギの仲間でしょうか?アオサギのように見えます。圧倒的なデッサン力で鳥が生きています。上部に描かれた、笹の葉の向きで風も感じる絵となっています。
福井江亭(ふくい こうてい、1865(慶応元年)~1937(昭和12)
旧幕臣の福井正賢を父に江戸に生まれる。
本名は信之助。号は江亭・天真堂
はじめ洋画を学ぶが、後に川端玉章に師事して日本画に転向する。
元東京美術学校教授
鳥はサギの仲間でしょうか?アオサギのように見えます。圧倒的なデッサン力で鳥が生きています。上部に描かれた、笹の葉の向きで風も感じる絵となっています。



No.16
武谷 雪嶺(1896〜1981)
川合玉堂・山内多門を師とする。山内多門自体が川合玉堂の弟子。100名ほどの弟子を持っていたといわれる。
雪嶺という画号を持つ日本画家が何人かいて、おそらくこちら(武谷)だろうとしました。ネットから同じ画号の作家の画風とサインが決め手となります。大家でなく贋作が無いのは良いのですが、作品自体が多く残っていないのが調べるには難しいところです。
武谷 雪嶺(1896〜1981)
川合玉堂・山内多門を師とする。山内多門自体が川合玉堂の弟子。100名ほどの弟子を持っていたといわれる。
雪嶺という画号を持つ日本画家が何人かいて、おそらくこちら(武谷)だろうとしました。ネットから同じ画号の作家の画風とサインが決め手となります。大家でなく贋作が無いのは良いのですが、作品自体が多く残っていないのが調べるには難しいところです。







作品No.14, 15
竹松に鶴 双幅
鈴木 芙蓉(すずき ふよう) 1752年 ~1816年
江戸時代中期後期の文人画家。江戸南画様式の確立に影響を与えた。
長野県飯田市に生まれる。同郷の画家の佐竹蓬平とともに寺子屋で学ぶ。その後江戸へ出る。
芙蓉の作品は儒者的気質を反映して漢文化が主題となっており当時の文人からの評価は高かった。
画才を認められ、40代で徳島藩蜂須賀家の御用絵師となる。儒者として召し抱えられたかった芙蓉は、絵師としての登用を残念がったという。 阿波踊りを描いた最古の絵「阿波盆踊図」(個人蔵、徳島市指定文化財)もこのころの作。
見るからにおめでたい双幅。桐箱も二重になっているほどで、とても豪華です。
正月などに掛けていたと思います。
竹松に鶴 双幅
鈴木 芙蓉(すずき ふよう) 1752年 ~1816年
江戸時代中期後期の文人画家。江戸南画様式の確立に影響を与えた。
長野県飯田市に生まれる。同郷の画家の佐竹蓬平とともに寺子屋で学ぶ。その後江戸へ出る。
芙蓉の作品は儒者的気質を反映して漢文化が主題となっており当時の文人からの評価は高かった。
画才を認められ、40代で徳島藩蜂須賀家の御用絵師となる。儒者として召し抱えられたかった芙蓉は、絵師としての登用を残念がったという。 阿波踊りを描いた最古の絵「阿波盆踊図」(個人蔵、徳島市指定文化財)もこのころの作。
見るからにおめでたい双幅。桐箱も二重になっているほどで、とても豪華です。
正月などに掛けていたと思います。


作品No,13
鳥文斎 栄之(ちょうぶんさい えいし)
宝暦6年(1756)~文政12年(1829)
浮世絵。これは、江戸の風俗ですが「やつし」という古典の題材を当世風に描いたものでモデルは「六歌仙、喜撰法師」とあります。「見立て」とも言います。
この作品自体は、大正期の「時事新報、特別付録」というもので、
一応「木版画」で制作されており、これはこれで見事な出来です。復刻版(レプリカ)と考えて良いかと思います。
江戸時代後期の浮世絵師。細田家は五百石取りの直参旗本であった。
1781~89頃には、浮世絵師として活動していたが、その後肉筆画へ転向する。多くの肉筆美人風俗画を手がけており、気品のある清雅な画風で人気を得、国内外の美術館に収蔵されている。また、細田派という流派を創始し、多くの優秀な門人を輩出している。
鳥文斎 栄之(ちょうぶんさい えいし)
宝暦6年(1756)~文政12年(1829)
浮世絵。これは、江戸の風俗ですが「やつし」という古典の題材を当世風に描いたものでモデルは「六歌仙、喜撰法師」とあります。「見立て」とも言います。
この作品自体は、大正期の「時事新報、特別付録」というもので、
一応「木版画」で制作されており、これはこれで見事な出来です。復刻版(レプリカ)と考えて良いかと思います。
江戸時代後期の浮世絵師。細田家は五百石取りの直参旗本であった。
1781~89頃には、浮世絵師として活動していたが、その後肉筆画へ転向する。多くの肉筆美人風俗画を手がけており、気品のある清雅な画風で人気を得、国内外の美術館に収蔵されている。また、細田派という流派を創始し、多くの優秀な門人を輩出している。

作品No.12
峰内 光雪
母が最も好んでいた物でこれだけ修復に出しました。実際にも桜の枝ぶり、花々の並びは生命を宿し、夜の空気さえ感じます。
作品10と同じ作者とはサインを見るまで気づきませんでした。
峰内 光雪
母が最も好んでいた物でこれだけ修復に出しました。実際にも桜の枝ぶり、花々の並びは生命を宿し、夜の空気さえ感じます。
作品10と同じ作者とはサインを見るまで気づきませんでした。






作品No.11
光雪(詳細不明)
同じ作者の掛け軸が2福あります。
光雪(詳細不明)
同じ作者の掛け軸が2福あります。



作品No.10 中山 秋湖(なかやま・ しゅうこ)1876年~没年不明
明治時代から大正時代にかけての日本画家。
水野年方の門人。東京生まれ。風俗画、美人画、仏教画を得意としていた。桐箱に詳細が書いてあり、調べ始めた頃、すぐに作者が分かった作品。
明治時代から大正時代にかけての日本画家。
水野年方の門人。東京生まれ。風俗画、美人画、仏教画を得意としていた。桐箱に詳細が書いてあり、調べ始めた頃、すぐに作者が分かった作品。

兎年なので、兎の絵があるのを思い出したら、調べるうちに同じ作者の絵があるのを発見。同じ作者の絵があれば、調べもつきやすいし、真贋もつきやすい。とにかく細い滑らかな線が特徴的。サインも女性の文字?と思うほどだった。
作品No.8,9
菊沢 武江(きくざわ ぶこう)1882ー1975
大正から昭和にかけて活躍した日本画家。20歳を過ぎてから画家を目指し、働きながら鍛錬を積み、東京美術学校で学んだのち、画壇へデビュー。花鳥画や人物画に人気がある。帝展委員を務め、日本画家としての名声を得る。
作品No.8,9
菊沢 武江(きくざわ ぶこう)1882ー1975
大正から昭和にかけて活躍した日本画家。20歳を過ぎてから画家を目指し、働きながら鍛錬を積み、東京美術学校で学んだのち、画壇へデビュー。花鳥画や人物画に人気がある。帝展委員を務め、日本画家としての名声を得る。

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